治田
「はった」は、現在の伊賀市内に位置する地名で、かつての上野市に所在していた。
この地は、名張川の支流である治田川流域に位置しており、治田川は北から南へと流れる南北の谷間に沿って流れている。
治田川の両岸には丘陵地が広がり、ここに集落が形成されている。
この地名「はった」は、その由来が古代にまで遡り、新しく開かれた土地を指す言葉とされている。
また、名賀郡史によれば、予野の住民が移住して新たに開発した土地とも伝えられている。
こうした歴史的背景から、「はった」は伊賀市内で古くから栄えてきた地域であり、その由来や形成過程が地名に反映されている。
薬師寺~襖絵~
治田の薬師寺に残る松と群鶴を描いた襖絵は、左利きの治田美山が描いた作品である。
美山は左利きであったにもかかわらず、その動物たちは右向きの構図で描かれていることが興味深い。
治田美山の作品は後世に多くの人々に評価され、その芸術的な遺産は尊重されている。
*治田美山(本名:治田重男)
・明治31年(1898年)3月25日 当時の名賀郡花垣村大字治田の152番屋敷で生まれた。
・昭和18年5月に描いた大和室生寺の風景画は、京都の五条天神社に納められた。
・戦後になると治田美山は出身地である上野市治田や予野、隣の村である奈良県月ヶ瀬村石打(現在の奈良市)、母の実家がある上野市大滝などを訪れ、依頼に応じて襖絵などを描く機会が増えた。