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名張川中流部右岸に位置する。山間部の丘陵地に集落が集中する。

地名は、カツラ科の落葉喬木の桂が多く茂っていたことによると伝わる。

「延長風土記」に見える呼美禰(おみね)の里は、当地ともいわれる。

 

 

中世

桂庄

 

鎌倉期に見える荘園名。伊賀国伊賀郡のうち。

「東大寺統要録」諸院編に「伊賀国 財良寺 同桂庄内国衙転倒」とある(統々群11)。

東大寺尊勝院領であったが、鎌倉期には退転していたようである。

 

近世

桂村

 

江戸期~明治22年の村名。伊賀郡のうち。

はじめ伊賀上野藩領、慶長13年からは津藩領。

村高は、天和元年の本高189石余(統集懐録)、「宗国史」189国余、「天保郷帳」216石余、「旧高旧領」202石余。

元禄9年の「伊賀給地村高帳」によれば、平高のうち150石余は桑原又右ヱ門の給地。

寛永年間頃の家数は41・人数128、馬6(宗国史)。

寺社は臨済宗東福寺派長国寺、素盞鳴尊を祀る延喜式内社呼美禰神社がある。

同社は、九頭明神とも称し、天王社も祀る(三国地誌)。

明治4年安濃(あのつ)県、同5年三重県に所属。

同22年花垣村の大字となる。

 

近代

 

明治22年~現在の大字名。

はじめ花垣村、昭和30年からは上野市の大字。

明治22年の戸数32・人口154、田18町・畑15町(町村分合取調書)。

昭和35年の世帯数36・人口185。

昭和48年から名張市の青蓮寺ダムの水を上野市西南部丘陵地帯に引き、山林の開墾によって農業生産高を上げる国営青蓮寺地区総合農地開発事業が始まり、現在では予野地区とともに北東部が開墾され、ジャガイモ・ダイコン・ブドウ・茶などの栽培が盛んとなった。

 

乎美禰神社

 

桂地区

 

乎美祢神社は、平安時代の延喜式神名帳(927)に記載されている創祀の古男い社である。

江戸時代の名称は九頭大明神、明治時代以降は乎美祢神社と称している。

乎美祢神社は、元は長国寺の上の宇恵の峰にあったと言われるが、後に現在の地に移ったと云われる。

乎美祢神社は、明治41年から昭和20年まで花垣神社に合祀されていたが、その時も境内林社地、鳥居、社殿なども残されていて、祭祀も継続して行われていた。