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大滝

 

名張川中流部に位置する。西は大和国に接し、山間部に集落を形成。

西部の山下を流れる名張川の渓谷美はすばらしい。

地名は、たきつ川の急流にちなむと伝える。

 

中世

大滝

 

戦国期に見える地名。伊賀国伊賀郡のうち。

永禄11年3月、伊賀に下向した吉田兼右が「伊賀国阿我郡大滝九頭社神人」に農作許状を与えている(兼右卿記)。

 

近世

大滝村

 

江戸期~明治22年の村名。伊賀郡のうち。

はじめ伊賀上野藩領、慶長13年からは津藩領。

村高は、天和年間頃の本高554石余・平高603石余(統集懐録)、「宗国史」544石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに565石余。

寛延年間頃の家数50・人数232、馬10(宗国史)。

寺社は真言宗豊山派蓮明寺、建部明神を祀る建部神社がある。

明治4年安濃津(あのつ)県、同5年三重県に所属。明治22年花垣村の大字となる。

 

近代

大滝

 

明治22年~現在の大字名。はじめ花垣村、昭和30年からは上野市の大字。

明治22年の戸数54・人口226、田35町・畑20町(町村分合取調書)。

昭和35年の世帯数48・人口233。

 

ふだば館

 

大滝・ふだば館  平成17年4月17日竣工

大滝で公民館的な役割をしている「ふだば館」

大滝のほぼ中央に位置し、利便性も良くなった

 

建部神社

 

 

古くは阿弥陀社、旧名賀郡史によると近江一宮を勧請したとある。

祭神は大国主命、日本武尊。

もっとも古い棟札・正保三年(1646)から、寛文十年(1670)まで、阿弥陀社。

以後は明治時代まで建部大明神として祀られている。

上棟、上葦が何度も行われ、明治十九年(1886)に籠所も再建されている。

明治四十一年から花垣神社に合祀されていた。

昭和二十一年地元に還り、建部神社として祀り続けられている。